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こんにちは、山田結子です。
たくさん雨がふりました。久しぶりにこんな雨を見ました。
昼くらいになじみのお店で買い物をしたら、小学生のお子さんが帰ってきたようでした。
午後は学校がお休みになったようです。
こんなに雨が降っている時間に帰るのも、子どもたちにとっては大変だなと思いました。
さて、午前中は久しぶりの絵の教室でした。
1ヶ月、教室が休みだったのです。毎年、そういうスケジュールです。
絵筆を持ってみると、少し感覚が変わっているような気がしました。
お休み前に展示会に参加して、なにか感覚の変化があったのかもしれません。
教室で描いた直近の自分の絵を見ても、他人が描いた絵のようで、自分が描いたものだという感覚がありません。
これは、どういう状態なのか、興味が湧いてきました。

私は、子どもの頃からよく絵を描いていました。私はひとり遊びさせられることが多く、親がそれを見て褒めるというパターンが多かったのではないかと思います。
小学生の時は、絵を描くだけでなく、自分で歌の本を読んで歌っていました(音程が合っていたのかは定かではない)けど、それは褒められなかったのでパターン化しなかったような気はします。これが褒められていたら、こちらがパターン化してたのかもしれません。
そう考えてみると、絵を描くということに、親の価値観が強く入り込んでいる気がしてきました。
絵を基本から習っていたら、どこかではずれたかもしれませんが、どういうわけか絵を習うことは長続きしませんでした。長続きしなかった原因も、ここにあるような気がします。
私が好きな絵と親が好きな絵が区別されておらず、親が好きな絵がいい絵だと思い込んでいた可能性があるんじゃないかと思えてきました。子どもの時の状況から想像すると、ありえる仮説です。
それで、お教室の選択にもミスマッチが多く、描きたいものもよくわからない、好きな絵はあるのに、好きじゃない絵を学ぼうとしてしまうという謎の現象がおきていたのではないか。
開催された展示会に、母はきてくれました。その時、私は絵が上手い人はこういう表現ができていると発言しました。それに対して、母はお世辞なのか、フォローなのか、私の絵はよく描けていると言い張りました。それに対して、違和感がありました。
私の絵を見る感覚と、母の絵を見る感覚が違うということを感じ始めたのかもしれません。同調が解除されたのだと感じました。もちろん、これは親の影響を受けすぎている状態の改善という観点では、ポジティブな変化だと思います。
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