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こんにちは、山田結子です。
先日、絵の教室でバケツなどの静物を描いています。色々な物が積み上がっていて、「見る」ということがどれだけ難しいか思い知ります。
自分の目線よりも高いものは見え方が違って見えている。そもそも、どちらの物が手前にあるのか。光と影はどのようになっているか。奥行きはどのように伸びているのか。
色を塗り始めて、描き間違いに気づいて、絵の中で辻褄を合わせるしかなくなってしまう。
ありのまま見るということは、案外難しいなと思います。

私たちは、何かの対象物を見るとき、意味づけをします。そして、描くときに、その意味づけが乗っています。
こうした意味づけが多い絵は、見たときに窒息するような息苦しさを感じます。意味づけの少ない絵は見ていてホッとします。
私の好みの話ではありますが、意味づけを少なく、感覚でありのまま描くのが練習にはいいだろうと思っています。

意味づけが少なくなると、絵の具をただ置いている感覚に近づいていきます。そのひとつひとつが特別な行為ではなく、無心な感覚です。
絵の具をおく作業が延々と続いて、そのうち絵ができてくる感覚です。
どの絵の具をどこに置けばいいのか、頭では全くわかりません。しかし、感覚的には色を見た瞬間、ここに置こうと決められます。
絵を描くということが、とても不可思議なものにも思えてきました。よくわからない魅力があります。
こうした体験も、また新しい展開が訪れる日が来るのでしょうか。楽しみでもあります。
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