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⬜︎目次⬜︎
こんにちは、山田結子です。
もう年末ですね。デパートもスーパーも大混雑で、日々の買い物も大変です。納豆ひとつ買うのに、あの行列に並ぶだけの強い思いがもてず、断念しました。
でも、考えてみれば、年末の混雑の中でも、どうしても欲しいものがあれば私たちは並びます。それが合理的かどうかではなく、「これは大切だ」という気持ちが行動を決めているのです。
今回はそんな「非合理さ」について考えてみたいと思います。
人間はロボットではない
もし、ロボットのようになって、物事をすべて合理的に判断できたら、何も考えずにいられて楽な部分もあるかもしれません。
しかし、人間はそういう存在ではありません。どんなに合理的でなくても、そうしなければならない日があります。

自分にとって大切なもの、重要なこと、客観的視点からは理解できないこだわり。そういうものがたくさんあるのが人間なのだと思います。
合理性を求められる社会
会社では、合理的であることや論理的であることが重視され、「非合理さ」は見過ごされやすい要素です。両親が共働きの家庭では、子どものうちから「合理的」であることが奨励されるかもしれません。
非合理を認めていないと、相手の非合理な行動に苛立ちを感じ、批判的になりやすくなります。そして、常に面倒くさくない方を選んでしまうなど、固定化した行動パターンに陥りがちです。
自分らしさとは
一方、自分らしさという世界では、自分の好き嫌いや楽しさ、得意なこと、本人にとって意味のあるものを重視します。
ランチのお店がなかなか決まらなくても、気が済むまで探していい。好き嫌いでやりたいことを決めていい。納得できるまで、存分に悩み続けてもいい。そういうことです。

もちろん、時間の制限があるときはそこまでできないでしょう。でも、そういう非合理さを受け入れていないと、他人がこだわっているものや大切にしているものが理解できないのです。
人の気持ちがわからないと、適切な言葉をかけることもできません。そういう意味では、非合理さを追求することは、かなり意味のある取り組みだと思います。
2026年は、非合理さを受け入れて、意味がわからないことにも果敢にチャレンジしていきましょう。
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